「地球規模の神の例に続くこと」 イザヤ書52章7-12節 ボブ・ワトキンス牧師 |
イザヤ52:7-12はヘブライ人亡命者が亡命先からエルサレムに戻ってくる物語です。「苦しむ僕」の導入で、神があらゆる種族と国の人々の罪のために死ぬために神の一人子イエスを遣わした地球規模の愛を記述します。7節はいわば地球を舞台にして山の頂上で開始し、イザヤは新しい4種類の美しい足について話を急展開します。
後の時代にパウロがこの個所をローマ書10:15で用い伝道の重要性を語っています。カンバーランド長老教会も伝道の重要性を強調しています。①良い知らせを伝える者の足はいかに美しいことか 。
②平和を促進する者の足はいかに美しいことか。 日本中会は、1999年11月23日に採用された決議において日本国民が日本国憲法を守ることにより世界のすべての民族と平和に生きるという願望を表明し、基本的人権を認め、過去に国によって犯した罪を悔い改めました。日本中会はその時から教会が平和を創り出す役割を荷負い、平和を促進する者の足は美しいという聖書の約束を守りました。
③良い便りをもたらす者の足はいかに美しいことか。世界にまだ何百万人もの人々が神の愛の家族であるという福音を待っていることを覚えておかなくてはなりません。
④救いを告げる者の足はいかに美しいことか。8-9節のイスラエル人のエルサレムへの帰還は、神の栄光のために国を取り戻すことを意味する歴史的な瞬間でした。10節でこの物語は主が聖なる御腕を置くことを語ります。それはすべての国々が彼らの傲慢に気付き、神の力を通して神が本当に支配していると思うにいたるためです。救済をこの世界の人々に提供するのは最終的にはキリストなのです。
1945年から1948年、日本と米国は今日のように会うことが決して出来なかったと理解する時この度の総会は歴史的な時であり、また謙虚にさせられるときであると思わされます。冷戦時代にはカンバランド長老教会の活動がなされている16の国々がカザフスタンと交流を持つことはできなかったことでしょう。この週17の国の人々が、共通の目的のために結ばれて、すべての国の人たちが自由に福音を語る足とされているのです。
11節は世界的なカンバーランド長老教会がその純粋さを守らなければならないことを私たちに思い起こさせます。わたしたちには諸国民の光、神の器としての務めをはたす聖なる義務があり、ひとりひとりが純粋であることが大切です。
12節は世界的な教会がそれ自身の力による価値は何もないとはっきり述べます。神があなたの前で導きあなたの背中を見守ります。わたしたちはこの総会が、神の導きと守りの内に運営されることに委ねます。なぜ国や文化的な距離を越え、費用やあらゆる問題を乗り越え共に働く必要があるのでしょうか?それは、それぞれの国の代表が国を越え共同体に責任をもち、ひとつの体となるためです。
2006年に東京で開催されたアジア青年宣教大会の閉会礼拝で参加者は聖霊の強い祝福を受けました。唐澤牧師は世界の困難のあるところへの憐みについて情熱的に説教しました。わたしはその礼拝の中で日本の牧師や信徒たちがこの国において大変な逆風と戦っていることを示されました。人口の0.1%がキリスト教徒です。伝道していて非常に孤独だったでしょう。しかし、世界中の至る所から兄弟姉妹が集まる時わたしたちはより大きな力を感じます。 地球上のわたしたちの礼拝はさながら天国のようです。やがていつの日かすべての部族や国民が一つになって神を賛美するその時を先取りするものです。確かに地球規模の神がいます。問題はわたしたちが地球規模の教会であるかどうかです。