「神の民として」_Ⅰペトロ2:1-10 |
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2017年 06月 25日
「あなたは誰ですか」と質問されたらどう答えるだろうか。アメリカ合衆国長老教会の「みんなのカテキズム」は第一問で「わたしは、神様の子どもです」と答えている。これはキリスト者にとって決定的なアイデンティティだ。 使徒ペトロの名前で記された手紙には、「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民」(9節)とキリスト者たちが表現されている。ロイヤルファミリーを凌ぐ、この上ない「ステータス」だ。 しかし、このように表現されているキリスト者の現実は、大変厳しいものだった。ローマ社会の中で迫害にさらされ、試練と苦難の中で信仰を揺さぶられる中に置かれていたのが当時のキリスト者たちだった。彼らに向かって手紙の著者は「あなたは誰であるのか」を忘れず、思い出して欲しい。その熱い思いで書かれているのがこの手紙だ。 2章には「生きた石」など多くの「石」が出てくる。石は主イエスを意味する。イエスは「人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた」方である。十字架と復活の出来事をペトロはそのように表現している。 主イエスの十字架は「人生の不条理」の極みだ。何の罪もない神の子が「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪行」(1節)を浴びせられ、命を奪われた。十字架のイエスは「つまずきの石、妨げの岩」(8節)なのだ。しかし、信じる者には「掛けがえのないもの」である。苦難や試練の中で、人々から見捨てられていると思う者とって、この十字架の主こそ救いであり、十字架こそ力なのだ。「誰もわかってくれないこの苦しみ、この悲しみ、この孤独。しかし、十字架のイエスだけは知って下さる」。黒人霊歌はその証である。どん底にいるものを救えるのは、どん底に共にいてくださる方。不条理の苦しみを救ってくださるのは、不条理の只中に共にたってくださった十字架のイエス。死の苦しみを救ってくれるのは、十字架と復活の主イエスである。この「混じりけのない霊の乳」でお方、イエス・キリストを慕い求めなさい。イエスの言葉を慕い求めなさい。「この主のもとに来なさい」(4節)。この御方こそ、私たちにとってなくてはならない「生きた石」であり、「隅の親石」なのだ。 ペトロは、キリスト者もまた同様に「生きた石として用いられ、霊的な家に作り上げられるように」と命じている。霊的な家とはどんな家だろうか? 日本聾話学校のニュースレターに戦中(1940年)に造られた「国旗掲揚台」に「愛は長久に絶ゆることなさし」と刻み込まれた出来事が記されていた。「時局はいろいろとむずかしくなってまいりました」と当時の校長先生が20周年記念式典で挨拶をする時代の中で、キリスト教が敵性宗教と言われる中で、日本聾話学校はⅠコリント13章に記される愛の讃歌の一節を公に言い表した。愛こそ建学の精神であることをその石に刻み込んだのだ。 「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口」が蔓延し、戦争への道を転げ落ちていく時局にあって、「生きた石」として用いられ、「霊的な家」を造り上げる証があるように思う。 滅びることのない神の愛に生きることが「生きた石」として用いられ、教会が「霊的な家として造り上げられる」ことにほかならない。ここに「時局いよいよむずかしくなる」今日において、神の民の使命があることを忘れてはならない(10節)。
by nozomichurch
| 2017-06-25 10:30
| Ⅰペトロ
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