「互いに尊ぶように」 申命記5章16節 香月茂牧師 |
家族を引き裂くこと、この点から考えていきますと日本の軍国主義の政治体制、国体主義は、家族を引き裂くようなことをしました。「お国のために」と言われて、人々は家族の中から父や子を取られたのです。
家族を引き裂く出来事、それは奴隷制度や軍国主義の問題だけではありません。奴隷制や徴兵制だけでなく、私たちの現代社会にも家族を引き裂く問題性があります。今よく取り上げられている、DV・ドメスティックバイオレンスという問題です。
淀川キリスト教病院の医者である柏木哲夫氏は、DVの原因の一つは相手を自分のコントロール下に置こうとする「支配欲」だと言われています。夫が妻を自分の支配下の置きたいのです。反抗しようものなら、暴力で服させるのです。
ファラオの心は、相手を自分の支配下に置こうとすることなのです。そこには伝道者パウロが勧めるキリスト者としての生活の規範は見られません。パウロは「兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい」といっています。もしどちらもファラオのように考え行動し、命令を言い合ったなら、決してうまくいくはずがありません。こうなると力関係がモノを言い、力で相手を封じるしかないのです。両者は上下関係となり、自分が相手よりも上なのか、下なのか、の関係なのです。もしこうした関係が家庭の中にはびこってきたなら、もう家庭崩壊は火を見るより明らかです。
モーセの十戒の第5番目の「あなたの父、母を敬いなさい」とは、家庭を大切にして、家族の絆が壊れないように、また家族の絆を切り裂くようなことをしてはならないし、また外からの力でそのようになる時、その外力を取り除くようにしなければならないことを教えていることなのです。イスラエルの民が、奴隷生活を強いられていて、そこから解放されたことによって、真実な人間の生き方が見えてきたのです。そしてファラオの下で生きるのではなく、神の下で生きることに、ここに真実の生き方があることを知らされていったのです。
イエス様は言われました。「私の家族、神の御心を行うのが、私の母、私の兄弟なのだ」と。このことをパウロは、キリスト者の人たちに互いに相手を尊ぶように、言い換えて勧めているのです。私たちも神の御心を求めて、主にあっての兄弟、姉妹として、歩んでいきましょう。そうする中で、神様を証しする事ができるのですから。