「もはや戦うことを学ばない」イザヤ2:1-5 |
今日の個所にはとって有名な、そして極めて重要なイザヤな言葉が記されている。「彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(4節)。一体どのような時に、彼はこのビジョンを示されたのか。
預言者イザヤは、紀元前8世紀の南ユダで活動した預言者であるが、彼が生き、そして預言活動した時代、古代オリエント世界を支配していたのはアッシリア帝国であった。強大な軍事力を誇るアッシリア帝国との関係をどうするのか? それが周辺諸国が常に問われた問題であった。
701年、センナケリブ王率いるアッシリア軍がエルサレムに侵攻し、周辺の町々は壊滅的な打撃を受けた。この時はヒゼキヤ王が莫大な財をアッシリアに朝貢し、難をのがれたが、南ユダはアッシリアの属国となった。すなわち南ユダは「敗戦」を経験したのであった。
イザヤが「エルサレムとユダについて幻に見たこと」は、この701年の「敗戦」の時であると言われる。イザヤは南ユダの町々が「焼き払われ」(1:7)たような中で、神からの啓示を受けたと言うことだ。すべてを掌握し、支配しているのはアッシリア帝国だと思わざるを得ない中で、「主の教え」と「御言葉」が流れでるところにこそ、世界の人々が集まるところであり、神の示される道こそがすべての人々に歩むべき道であることを示す。「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」(イザヤ40:8)のだ。この神の言葉は、世界史上のどんな大帝国よりも永続的な力・権威を持つ!
イザヤは、幾度となくアッシリアの脅威に晒され、アッシリアによって町が廃されて、敗れた時に、この幻を神様から啓示されたのである。「もはや戦うことを学ばない」・・・・・・。これが最晩年、40年の預言者として活動をしてきたイザヤが敗戦の中で示された啓示であった。
わたしたちの国は、かつての戦争の経験から「もはや戦うことを学ばない」ことを決意し、新しい憲法を制定した。それは戦争というものの本質を嫌というほどに味わいつくした所からの新しい出発、歴史的な転換であったはずだ。「戦争放棄」を謳う日本国憲法が与えられたことは、イザヤが語ったこの神の終末的幻がこの地上において与えられたのだと受け止めることができる。イザヤの見た幻を、私たちもまた神の不思議な出来事として、「敗戦」の中で示されている、と私は思う。
教会は、この主が示された終末的ビジョンに生きる。どの峰よりも御言葉の権威に従う。「もはや戦うことを学ばない」。これが神様の御心として示されていることである。敗戦の日、私たちは今一度そのことを深く心に刻みつけよう。