「イエスによる平和」 ヨハネ福音書6章60-69節 佐藤岩雄牧師 |
これは、私たちが既にお祝いしたイースターのイエスの復活の場面です。それと同時に、今日の最後のところには、イエスが「聖霊を受けよ」と息を吹きかけた場面が書いてあります。これは、ペンテコステの日に実現する出来事です。本日は教会暦で、復活節第五主日というイースターからペンテコステに向う主の日を歩んでいますが、この聖書箇所は、この主日にもう一度読むのにふさわしい箇所でしょう。私たちが、主の復活を覚えて、神の国の到来を待ち望みつつ、どのように歩むように期待されたのかという事が、示されていると思うのです。
弟子たちが緊張の中にいたという事が、この箇所には書いてあります。イエスが十字架の上で死なれ、弟子たちはイエスの死体が無くなったという知らせを聞いて、怖くなってドアに鍵をかけてひきこもっているような場面です。しかし、そこに主イエスご自身が現れたのです。大変な困難にいる弟子たちにイエス様が現れて、「平和があるように」と言われるのですね。本日の箇所には 「週の初めの日の夕方」と書いてあります。この言葉を聞いて、今から2000年前のこの聖書を最初に読んだ読者がすぐに思い浮かべたのは、週の初めの日とは世界創造の最初の日を象徴的に現しているという事ですつまり、ヨハネによる福音書においてイエス・キリストの復活は、神の創造の回復が開始されたという事を表しています。神が最初に「光あれ」という言葉をもって、暗闇に満ちた世界を照らし出されたように、イエスは、「あなたがたに平和があるように」という言葉で、この混乱に満ちた世界に新たな光を生み出されたのです。主イエスご自身が先立って、鍵のかかった部屋の中心に立って、平和を宣言されます。イエスは暗闇が濃くなる世界のただ中に立ち、平和あれと宣言されます。私たちは、既この新しい創造業の中を神の国の中を生き始めているという感謝をもって、遣わされていきましょう。